すばる星空倶楽部

星のお話

Vol.04 日本のすばるとその伝説

日本のすばるとその伝説

「SUBARU」は「六連星(むつらぼし=すばる)」に由来して誕生したのはご存じのとおり。「すばる」は立派な和名(日本語名)であり、今や世界に広く知られた日本語の一つと言えます。 
このすばるが日本のなかでどのように親しまれているかについてご存知ですか。ここでは星と民俗にくわしい元杉並区立科学教育センター指導員の茨木孝雄さんに解説していただきました。
 この中の一つを知っているだけでも、周りの仲間や友達に自慢できるかもしれませんね。
 

「星はすばる…(星といったら、まず、すばるだわ…)」と、清少納言(せいしょうなごん)が『枕草子(まくらのそうし)』に書いたように、すばるは日本人に古くから親しまれてきた星の名前です。彼女の時代は、中国流の占星術(せんせいじゅつ)※①が盛んで、その術に秀(ひい)でた宿曜師(すくようじ)※②陰陽師(おんみょうじ)※③たちが星ぼしの位置や動きをくわしく調べて、天皇の御世(みよ)を占ったのでした。

※①占星術とは:天体の位置や動きと、人間や社会の様子を経験から結びつけた占い。ちなみにすばるは、中国の占星術に使われた二十八宿(にじゅうはっしゅく)という天球区分の一つ、昴(ぼう)宿にあたるため、昴の字は“すばる”とも読みます。

※②宿曜師とは:平安時代に留学僧らが中国から日本へもたらした宿曜道(占星術の一種)を使える専門家。

※③陰陽師とは:古い日本の官職の一つ。占いで政治や社会、生活の行くすえをアドバイスする役人。安倍晴明(あべのせいめい)が有名。

日本列島では5月から6月にかけての一時期を除く1年の大半で、すばるを見ることができます。一般の人びとは、すばるの出没や南中(真南の空高くのぼるとき)を観察して、農作物の種まきや植え付けの時期、イカ漁サンマ漁などの船を出す時期を決める目安としていたに違いありません。
およそ80年以上前から今日まで、研究者たちは日本各地を調査し、すばるを示すたくさんの地域名(ローカルネーム)を採集しました。本州では「すばる」や「すまる」、またそれから変化したと思われる「つばる」や「すまり」、星の数(六つ)で名づけられた「むつら」や「むづら」…。北海道ではイワンノチウ(アイヌ語で六人星の意味)の名が採集されています。 “行方知れずのプレヤード”(Vol.03 ギリシア神話のすばる)に似たイワンノチウ伝説※④があるというのも興味深いです。

※④イワンノチウ伝説の内容は、図書館などで『アジアの星物語』(万葉舎)228ページをごらんください。

いっぽう、沖縄県石垣島には、この地のすばるの名、群星(ムリブシ、ムリカブシ)にちなんだ聖地、群星御獄(ムリブシィオン、ンブスォンなどと呼ぶ)があります。昔、石垣島の川平(かびら)村に住む娘が夜中に目を覚ますと、空のすばると地上との間をふしぎな火が行ったり来たりしているのが見えました。火が降りた場所は白米の粉で丸く印されていたため、村人たちは、そこが神さまの降りた場所に違いないと社(やしろ)を建て、神さまをまつったのです。川平の人びとは、現在島内に100か所近くある御獄(オン、オガン、オミヤなどと呼ぶ)の始まりを、このように伝えています。

ところで、すばるの名は“統(すま)る”の意味〜星が集まっているさまを、たくさんの玉石を糸で結んだ玉飾り〈ミスマルノタマ〉にたとえたもの、とされていますが、すばるという言葉と星との間には、まだ隠(かく)された謎があるように思えます。
奈良時代に建てられた伊勢の棒原(すぎはら)神社には、すばるの名をもつ女神アメノスバルメノミコトノミタマ(天須婆留女命御魂)がまつられています。この神は、すばる星の女神とも水の神ともいわれ、農事をいとなむ土地の人びとの信仰を集めていました。すばるには、玉飾りではない別の意味があったのでしょうか?

すばるが、このように日本各地にさまざまな名前と伝説を残してきたのは、遠い昔から人びとの暮らしに関わってきた何よりの証(あかし)。たいせつな文化遺産として後世へ引き継いでいきたいものです。今夜も晴れたら、すばるに会えるかもしれません。

すばるが北は北海道から南は南西諸島にいたるまで日本全国に根づいていたことがわかました。星のすばるは日本人にとっても身近な存在だったんですね。

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