SUBARU CYCLE FAN CLUB

"SUBARU × 自転車" 歴史探訪シリーズ
夏の会津と大内宿をゆく。クルマ多めののんびり自転車旅

クルマと自転車でめぐる歴史探訪シリーズ。第2回は戊辰戦争の舞台「会津若松」にフォーカスして、市内に点在する歴史スポットをめぐりました。

SUBARUで"いいとこどり"の自転車旅

クルマと自転車を組み合わせれば快適さとスポーツの楽しさ、そして五感をフルに使って感じるその土地の魅力も味わうことができます。自転車で丸一日じっくりと走るのも愉しいのですが、今回はクルマを多めに使って、景色のいいところは自転車に乗る"いいとこどり"のルートを考えてみました。

ルートの中心に据えたのが会津若松市内(②)ですが、その途中、猪苗代湖周辺(①)もかなり魅力的な自転車ルートとして良く知られている場所なので、まずは猪苗代周辺を散策して、その後、会津若松市内に入り、最後はまたクルマを使って大内宿(③)を回るルートを走ります。自転車だけでは回り切れない範囲をクルマ多めで巡り、この地方の景色と歴史を味わい尽くします。

夏の会津若松を旅先に選んだ理由としては、涼しい中自転車に乗りたいという"避暑"が目的のひとつ。結果的には30℃越えの暑い日でしたが・・・。

まずは猪苗代湖の北側にある猪苗代町サイクルセンターにクルマを止め、走り始めます。特徴的な山容の磐梯山が望める湖の北側には、このサイクリングセンターのほか、野口英世記念館などの観光施設がたくさんあり、駐車スペースには困りません。

湖沿いのルートもいいのですが、今回はあえて磐梯山側のルートを選択。湖畔の国道沿いは交通量が多いのですが、ひとつ奥に入ると交通量がかなり少なくなるので、とても走りやすい! 磐梯山の麓に広がる田園風景を眺めながら走る約10㎞ほどのサイクリングはすごく爽快でした。

湖や島などを自転車で一周する「〇〇イチ」はサイクリストの勲章のようなものですが、本来、猪苗代湖を一周する「イナイチ」をしたかったのですが、今回は歴史探訪がメイン。とても名残惜しいのですが先を急ぎます。※ちなみに猪苗代湖は日本第5位の大きさを誇る湖。その周囲はアップダウンも多く、イナイチは中級者向けのルートになります。

さて猪苗代湖を後にして、会津若松市内にクルマで入ります。市街地は大体10㎞四方にギュッとスポットが固まってあるので、自転車で周遊するのにはちょうどよい広さの街。今回めぐるのは、鶴ヶ城のエリア(A)、お寺などが密集するエリア(B)、飯盛山エリア(C)です。全部走っても20㎞くらいなので、初心者でも走りやすいルートですね。

まずは市街地にクルマをとめて、会津若松市内を走り始めます。

白壁と赤瓦、城壁が美しい鶴ヶ城

最初の目的地は(A)のエリアにある「鶴ヶ城」です。1384年に築城された後、東北地方を治めた伊達政宗が城主になり、蒲生氏郷が豊臣秀吉の命で会津を治めて天守を築きました。かなり遠くからでも、その荘厳な姿を望むことができる会津若松のシンボルです。

鶴ヶ城といえば、やはり思い出されるのが幕末です。戊辰戦争時に薩長を中心とした新政府軍が進撃した際の戦地にもなりました。激戦が繰り広げられ、石垣にはその当時の弾痕が今も残されています。

天守は明治時代に一度取り壊された後、1960年代に再建され現在の姿になっています。この戊辰戦争には、土方歳三や斎藤一などの良く知られた新選組の隊士も参加しているので、幕末好きにはたまらない歴史スポットのひとつです。

しかしまだ最初のスポット。城好きの自分は丸一日過ごせますが時間がいくらあっても足りないので、このあたりで次のスポットを目指します。

情緒あふれる会津の市内を散策

お隣の喜多方は「蔵のまち」としてよく知られていますが、会津若松も同様に蔵が立ち並ぶ街です。(B)のエリアには格子状のナマコ塀や大正時代の建造物など歴史情緒あふれる街並みが広がっています。

こちらは若松のスポーツショップ「バンダイスポーツ」。大正時代の建物で正面のレンガがいいアクセントになっています。品ぞろえが豊富、現代的なスポーツギアが揃っているショップには見えないですね。

江戸時代から続く白木屋漆器店。建物は大正時代にルネッサンス様式を取り入れた洋風の見た目ですが、工法は木造の土蔵造りを採用。洋と和が融合した当時の時代背景を感じさせる建築物です。会津はふらっと自転車で少し走るだけで、このように味のある風景に出会える街です。

戊辰戦争ゆかりの地を散策

さて市街地には幕末、戊辰戦争のゆかりの場所が鶴ヶ城以外にも点在しています。この阿弥陀寺もそのひとつ。境内には旧幕府側として戦った兵士が今も眠っていて、この地で戊辰戦争を戦い、大正時代まで生きた新選組の隊士、斎藤一のお墓もあるお寺です。

阿弥陀寺を後にして、自転車で約20分ほどで、市街地の東側(C)エリアに到着です。正面に見えているのが東側にある標高314mの飯盛山です。

ご存じの方も多いと思いますが、戊辰戦争時に白虎隊の悲劇の舞台となった山としてよく知られる場所です。ただ一人生き残った酒井峰治と愛犬クマの銅像が出迎えてくれます。

時代を感じさせるお土産屋を通り過ぎて、長い階段を上っていくと、会津市内が一望できる展望台へ到着。市街地が一望でき、白虎隊士が「炎上している」と見間違えたという鶴ヶ城も遠くに見えます。

飯盛山には隊士のお墓のほか、歴史的な建造物もあります。この建物は珍しい二重螺旋構造をもち、その特異な外観がサザエに似ていることから「さざえ堂」とも呼ばれています。高さは約16mで、上っていくとぐるっと回って"同じところを通らず"降りられる不思議な構造をしています。

ランチは名物のソースカツ丼

ちょうどお昼時に差し掛かったので、会津若松名物のソースカツ丼をランチに。その由来は諸説あるものの、昭和初期から会津若松の名物になり、市内に専門店が立ち並ぶほか、コンビニ弁当としても販売されるなど市民生活に根付いた食べ物になっています。

ご飯の上にキャベツを敷き、その上に甘辛いソースを絡めたとんかつを乗せるのがその特徴です。初めて食べましたがどことなく懐かしさもあり、しかもサクサクの部分としっとりした部分のバランスが良好。あっという間の完食でした。

江戸時代の風情を残す大内宿へ

さてランチの後は最後の目的地、大内宿(③)を目指し、クルマに自転車を乗せて約1時間ほどのドライブです。会津若松の南側、奥会津にある大内宿(おおうちじゅく)は、江戸時代、会津若松と日光をつなぐ宿場町として栄えた地域です。

かやぶき屋根の民家は、江戸後期から明治初期に建てられたものが多いのですが、時代の面影そのままに今も店舗兼住居として大切に保存されています。伊達政宗や豊臣秀吉がこの大内宿を通行した記録も残されているとのこと。

人ごみの目抜き通りを避け、わき道を自転車で走ってみましたが、ロードバイクがまるで異世界の乗り物のような感覚に陥りました。左右の建物にはお土産屋さん、飲食店、旅館などがあり、かつての生活が体験できる資料館などもあります。

「暑いから休んでいって!」というお言葉に甘えて、軒先を借りてしばし休憩。猛暑日だったこともあり、目的だった"避暑地での快適なサイクリング"はかないませんでしたが、風情も人情もある会津若松はSUBARUと自転車で訪れるとより楽しみが増える街でした。今度は猪苗代湖一周の"イナイチ"にチャレンジしてみたいですね。

  • ●取材/今 雄飛

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