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SUBARUの歴史

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1997年2月 初代フォレスター発売

この時期の世相
大阪ドーム、ナゴヤドーム開業
「ジョホールバルの歓喜」日本代表がサッカーW杯本戦への出場を決める
東京湾アクアライン開通
道ある限りどこまでも、「Best of Both」 SUVの人気が高まる市場に対し、既に定評を得ていたAWD技術やレガシィグランドワゴン(後のアウトバック)で確立したクロスオーバーSUVというコンセプトを活かし、応えたのが、97年「新時代のスポーツビークル」として発売した初代フォレスターでした。既存のSUVというジャンルにとらわれないSUBARU独自の開発思想により、ラフロードでの十分な走破性とオンロードでの優れた走りの性能を併せ持ち、日常生活でも使いやすいクルマが誕生したのです。そのキャラクターは「Best of Both」というキャッチフレーズで表現され、この言葉は長くフォレスターの世界観を示すキーワードとして用いられました。
世界最速のSUV 発売の前年1996年10月、米国インディアナポリス・モータースピードウェイにおいて、フォレスターは「24時間耐久速度記録ハーマントロフィ」に挑戦。インディ500マイルレースで知られるコースは、一周約4㎞のオーバルコースで、ほとんどバンクのない4つのコーナーは減速が必須。記録はこのコースを24時間走り続け、その平均速度を計測するというものでした。午前7時30分にスタートした2台のフォレスターはともに完走。当時の最速記録を更新する180.082㎞/hという新記録を樹立し、「道ある限りどこまでも、どんなクルマより速く」というコンセプトを実証したのでした。
「環状力骨構造ボディ」を採用し衝突安全性能を高める 1990年代後半は、衝突安全テストの基準が引き上げられるなど衝突安全への意識が急速に高まっていました。そんな中、フォレスターは、強固なピラーやフレーム類でとりかごのように乗員空間を取り囲んだ「環状力骨構造ボディ」を採用しました。安全ボディに付けたこの名称と、「とりかごのように乗員を囲む」というコンセプトは現在のSUBARU車にも継承されています。 フォレスターの衝突安全性能は、1998年に米国の「ハイウェイ安全保険協会」の衝突試験で最高評価を獲得するなど、国内外で高い評価を獲得しました。