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SUBARUの歴史

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1989年2月 初代レガシィ発売

この時期の世相
ベルリンの壁が崩壊
消費税が施行(3%)
日経平均株価が終値で38,915.87円。最高値を記録
90年代以降のSUBARUを支える世界戦略車の誕生 元号が昭和から平成に変わる1989年、本物志向の世界戦略車としてSUBARU初の2.0L車として初代レガシィがデビュー。シャシー、エンジンなどスバル1000からレオーネまで続いた基本構造すべてを刷新し、SUBARUのクルマづくりを抜本的に変えた立役者でした。特に「走り」へのこだわりは深く、それはデビュー時のキャッチコピー「磨いてきたのは走りです」や「もっとクルマになる」にも表れていました。「レガシィ」の意味は、「大いなる伝承物」。クルマづくりを全面刷新しながらも、水平対向エンジンやAWDといった伝統の技術を継承しつつそれを高い水準まで昇華させたクルマでした。
4ドアセダンとツーリングワゴンの2タイプでデビュー 車種展開は「4ドアセダン」と「ツーリングワゴン」の2車型。ツーリングワゴンには、商用バンをラインアップせずに、当初からワゴン専用を前提に開発することで、セダンと同じように剛性感あふれる気持ちのいい走りが愉しめるクルマとしました。エンジンは1.8Lと2.0Lの新開発16バルブ水平対向を搭載。特に2.0LのEJ20エンジンの動弁系はSUBARUとして初めてDOHC化。さらにEJ20-TURBO搭載のスポーツセダン「RS」は、2.0Lクラス最高の220ps/6400rpm、27.5㎏・m/4000rpmのトルクを発揮するものでした。「ツーリングワゴン」には、レオーネで熟成されたエアサスペンションやルーフレール仕様も設定し、ワゴンとしての機能と風格を兼ね備えました。レガシィは、日本市場を皮切りに米国市場でも発売を開始、その後欧州など海外市場にも順次展開されました。
10万㎞世界速度記録への挑戦 レガシィ発表に先駆けて米国アリゾナ州フェニックス近郊のアリゾナテストセンターで10万km世界速度記録へのチャレンジが行なわれました。チャレンジに使用された車両は「レガシィRS」をベースに必要な部分改修を施したもので、規定により3台が走行しました。それまでの世界記録は北欧メーカーの車種が1986年に樹立した213.299㎞/h。1989年1月2日にスタートしたレガシィは、19日間昼夜無く走り続け、10万㎞を447時間44分09秒887で完走、1月21日にゴールしました。その結果は、従来の記録を10㎞/h上回る平均時速223.345㎞/h。完走を果たした3台すべてがこれまでの記録を塗り替え、耐久性、高速性をいかんなく発揮したのでした。
「GT」シリーズ発売 RSのみに設定されていた2.0L4カム16バルブBOXERターボエンジンに、「E-4AT」を初めて組み合わせ、“安全かつ快適な高速ロングドライブ”を実現する「グランドツーリングカー」として開発されたモデルが「GT」シリーズ。充実した機能、装備に加え、高性能なターボエンジン、RSゆずりの足回り、先進の高速4WDシステムにより、レガシィきってのスポーティモデルとして位置付けられました。
「走り」と「乗心地」という相反する性能を両立した「RS」の基本設定を継承し、グランドツーリングカーとしてのベストチューニングを施し、より安定感、落ち着きのある走りを実現しています。エンジンは実用域での性能を重視して最高出力を200ps/6000rpmとし、扱いやすさを重視した専用のチューニングが施されました。
STIが手がけた初のコンプリートカー「ツーリングワゴンSTⅰ」 スバルテクニカインターナショナル株式会社(STⅠ)が手懸けた初のコンプリートカーとして、1992年8月3日に発売。エンジンはコンピューターチューンにより220psを発揮。全域で向上したトルクに対応してE-4ATもコンピューターチューニングを行ない、格段のポテンシャルアップを果たしています。よりスポーティにセッティングされた足回りは、フロントストラットタワーバー、BBS製アルミ鍛造ホイールを装備。ロールの少ない安定したフットワークを実現しました。さらにチェリーレッド・ステッチ付専用マテリアルの電動パワーシート、フロント・リップスポイラー、カーゴルームネットなどオリジナルパーツを採用。限定200台の注文生産で販売されました。