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SUBARUの歴史

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1979年 「ザ・ニューレオーネ」シリーズ、
軽キャブバン初の
ハイルーフ車「サンバーハイルーフ」発売

この時期の世相
インベーダーゲームが大流行
ソニーのウォークマン発売
インベーダーゲームが大流行し、ソニーのウォークマンがヒットした1979年。第二次石油ショックが世界を襲ったことで、世界的に燃費のいい日本車に注目が集まりました。結果、日本の自動車産業は輸出の花形となり、飛躍的に発展。そんな中、SUBARUは8年ぶりにレオーネを刷新し、「ザ・ニューレオーネ」として勝負に出ました。ヨーロッパ調のスタイルや1.8Lにアップされた水平対向エンジン等、車格をアップ。スバル1000から10年以上かけて積み重ねてきたノウハウがザ・ニューレオーネを生み出し、「世界のSUBARU」として羽ばたく時がとうとうやってきたのです。
ニューレオーネがアメリカを席巻 SUBARUは長年、排出ガスのレベルをより低下させながら、クルマのパワーを損なわず、燃費性能の向上を図る開発に力を入れてきました。このことが石油ショックの影響をまともに受けたアメリカでの大きなニーズにつながりました。具体的にアメリカでは燃費を40%向上させることが義務づけられ、小型車のニーズが急増。日本車が飛ぶように売れたのです。ザ・ニューレオーネはその風に乗り、1979〜80年の2年間でアメリカへの輸出台数が約27万台と増加しました。燃費の良さや故障が少ないことが評価されたのです。
目指した走りの調和 SUBARUが得意とするFFと4WD、この個性がアメリカでも受け入れられ、ザ・ニューレオーネは躍進します。軽量コンパクトな水平対向4気筒のエンジンは従来の1600ccに加え、1800ccも新たに追加。そして水平に流れるラインを基調とした美しいボディフォルム。まさにSUBARUが目指した、「走りの愉しさ」と人間尊重の「ゆとり」が調和されたクルマでした。室内スペースも拡大し、居住性をアップ。ドライバーから斜め後方が見やすいつくりも好評を得ました。4ドアセダンに続き、2ドアのハードトップを追加し、秋にはSUBARU初のハッチバックモデル「ザ・ニューレオーネスイングバック」と新機構デュアルレンジ(副変速機)を備えたレオーネ4WDを発売します。とくに4WDは雪国や悪路での業務用車両として重宝され、スキーやマリンスポーツなどレジャーの用途でも使われました。まさに新たなカーライフを創造するきっかけも作ったのです。
石油ショックが追い風に ザ・ニューレオーネの発売だけでなく、軽自動車のラインアップも充実させました。サンバーライトバンには軽商用車初のハイルーフ、新型サンバーハイルーフを追加。小型車と肩を並べる荷室の高さも実現し、仕事だけでなくレジャーにも活用できるコマーシャルカーとして好評を博しました。また低価格、低燃費で多用途に使える「ファミリーレックス」を全国統一価格48万円で発売。コンパクト・シティカーとして省資源、省エネルギーの要請に応えました。