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SUBARUの歴史

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1975年 レオーネ4WDセダン、
レオーネAT車、
レオーネとレックスのSEEC-Tを発売

この時期の世相
第二次ベビーブーム
「シクラメンのかほり」がヒット
第二次ベビーブームに沸き、布施明氏の名曲「シクラメンのかほり」がヒットした1975年。SUBARUはレオーネシリーズに4WDセダンとAT車を加えた新型を発売しつつ、画期的な低公害システムの開発に成功します。その名は「SEEC-T」。「SUBARUの排ガスを制御する熱力学システム」を英訳した単語の頭文字を表記したものです。クルマを年々進化させながら、環境問題にも真っ向から対処する。「先進のSUBARU」を世界に印象づける1年となります。
伝統技術が、強固な背骨 これまで商用車であるエステートバンのみに設定されていた4WDが、乗用車であるセダンに設定されました。これが世界で初めての量産セダンタイプのレオーネ4WDセダンの誕生だったのです。そのカタログにはSUBARUの原点である飛行機づくりの伝統について触れています。『飛行機野郎ノ主張アル車』とのフレーズで高度な機能と運動性、そして安全と信頼性が求められる飛行機づくりのノウハウが、レオーネの骨格を形づくっていると発信しました。4WDセダンの発売と同時に、SUBARU初の3速フルオートマチック搭載車も発売。併せて全車種を改良し、ブレーキモニターと呼ばれる予防安全機能も装備。4WDにすることで山の中や積雪地での医療用に適応させ、もちろんレジャーでも活躍できるとアピールしました。外観には4灯式のヘッドライトを付け、フロント部分のグレードアップを施しました。
時代を先取れ 70年代に入り、自動車の排ガスが原因で光化学スモッグなどの公害問題が大きくクローズアップされました。その対策は急務で、新しい技術革新のチャレンジであり、他社との競争でもありました。SUBARUの技術開発チームはこの状況を大きな飛躍のチャンスと捉え、一丸となって奮闘。1976(昭和51)年の施行前に昭和51年排出ガス規制をクリアした「SEEC-T」を世に送り出します。この排ガスの浄化装置を付けた新しいエンジンは大きな注目を集めました。そのシステムは、まずレオーネシリーズに搭載され、排気量もこれまでの1400ccに加え、1600ccエンジンも追加。ひときわクルマらしさを増しました。また当時、排ガス対策のあおりでスポーティーカーの元気がなくなる中、SUBARUはツインキャブエンジン車も継続して設定。パワフルな走りを失わずに規制対応を果たしたのです。そして360ccの軽自動車では規制対応は難しいと言われていた中、SUBARUはSEEC-Tでその課題を解決、レックスSEEC-Tとして発売しました。その後、1977(昭和52)年4月には、動力性能を落とすことなく、当時「世界一厳しい」と言われた昭和53年排出ガス規制を他社に先駆け一番乗りでクリア。SUBARU独自の技術が、またひとつ花を咲かせることに成功したのです。
先進は揺るがない 触媒やEGRなどの複雑かつコストがかかる方式ではなく、極めてシンプルな機能でクリーン性能を高めた「SEEC-T」は、時代を先取りしたSUBARUの武器となりました。そして4WD分野でも世界の最先端を走る。1975年はSUBARUの技術開発が輝き、世間の注目を集めた年となったのです。