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SUBARUの歴史

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1966年5月14日 スバル1000 4ドアセダン発売

この時期の世相
「ビートルズ」初来日
自動車生産台数、世界第3位に躍進
「マイカー元年」空前の小型車ブーム 日本の総人口が1億人を突破し、イギリスのロックバンド「ビートルズ」が初来日、日本人を熱狂の渦に巻き込んだ1966年。
スバル初の小型車、スバル1000 4ドアセダンが発売されました。
この年は「いざなぎ景気」と呼ばれる日本古来の男神から付けられた好景気に日本は沸き、
「マイカー元年」とも言われ、空前の小型車ブームでした。
日本の自動車生産台数も220万台を超え、アメリカ・ドイツに次いで世界第3位に躍り出ました。
そんな中、スバルの社運を賭けたスバル1000はマーケットにデビューしたのです。
スバルの新しいチャレンジ 当時のスバルは軽自動車ではトップシェアを誇りましたが、小型車市場では後発メーカーでした。そこで熾烈な競争に勝ち抜くには、ユーザーを惹きつける圧倒的な個性が必要と考えました。
独創と先進の新技術 それは「水平対向4気筒」と呼ばれる4個のシリンダーが2個ずつ水平に配置され、パワーをキープしつつ振動も小さくできるという画期的なエンジンの開発。さらにそのエンジンを車体の前方に配置して、前輪に動力を与えて動かす「FF方式」を採用。このふたつの要素をスバル1000に搭載、究極の個性として勝負に出たのです。これが「独創と先進のスバル」を強烈にマーケットに印象づけ、いまに続くスバルの技術の元になっています。
繊細な技術の先に
エンジンのパワーがある
初期のカタログの表紙は、夕焼けの海辺を背景にスバル1000が一台だけ佇むというシックな高級感を醸し出していました。そして最高時速130kmのスピーディーなパフォーマンスを「サッカーのダッシュを思わせる走りだし」と表現。強靭な1000ccのエンジンで「スキーを積んで、雪山に行こう!」とアピールしました。雨の日や雪道にも負けないタフさが、スバル1000のセールスポイントだったからです。エンジンが車体の前方にあるので、後部座席の足元が広い上にトランクも大きい快適感という他社との違いをユーザーに感じさせました。
愛される記憶 スバル1000のボディカラーはベージュやグレーといったシックな4色展開。その後トロピカルレッドなど11色に拡大。振動や騒音が少なく、スバル得意の軽いボディで日本中を疾走したスバル1000は、「スバリスト」と呼ばれるコアなファンを生み出しました。その優れたエンジン技術はイタリアの有名自動車メーカー・アルファロメオにも影響を与えたと言われています。いまなお多くのスバルファンに記憶されているスバル1000は、日本が世界に誇る小型車として颯爽と駆け抜けたのでした。