SUBARU STAMP RALLY SUBARU A GOGO

home  >  SUBARUの歴史  >  1960年代

SUBARUの歴史

前のページに戻る

1961年2月 スバルサンバートラック発売

この時期の世相
ソ連が世界初の有人宇宙飛行に成功
巨人・大鵬・卵焼きがブームに
日本の運送業を支えた縁の下の力持ち ソ連(現:ロシア)が世界初の有人宇宙飛行に成功し、日本の子供たちが「巨人・大鵬・卵焼き」に熱中した1961年。スバルは軽四輪トラック、スバルサンバーを発売しました。設計したのはスバル360で大きな成功を成し遂げた百瀬晋六氏チーム。スバル360をベースに、その優れた性能と貨物車としての実用性をマッチさせました。半世紀を超えて生産され、日本の運送業を支え続けた縁の下の力持ちな歴史的名車です。
抜きん出たスピードと安定性 サンバーとは「足の速いインドの大鹿」のことで、このクルマの特徴をよく表しています。四輪独立式サスペンション(車体と車輪をつなぎ、路面からの振動を吸収して安定させる装置)という、当時他にないオリジナリティに溢れた構造を持ち、耐久性のある強力なエンジンを搭載。乗り心地が良く、加速力にも優れ、坂もぐんぐん登れるといったわかりやすいメリットに富んでいたのです。競合他社の軽トラックよりも上述のような性能が高かったため、発売してからすぐに大ヒットしました。
キュートなフェイスで人気者 スバル360チームが得意としたスマートなデザインをサンバーも継承していたので、その要素も多くのひとに愛される理由でした。それを象徴するのがニックネームの多さ。「ケロちゃん」「ペコちゃん」「くちびるサンバー」など、外観から名付けられたものから、性能を表現したと思われる「農道のポルシェ」とも呼ばれていました。
日本の流通を助ける スバルサンバーは運送業に欠かせない二つの強みを持っていました。一つは衝突安全性にこだわり、車体前方の鋼の板を二重にしたこと、そして二つ目は地面から荷台の高さを35cmに設計することで荷物を積みやすくしました。スバルサンバーの特徴を最も評価したのが運送業で有名な「赤帽」で、30年以上オフィシャル車として使用したのです。スバル360の姉妹車として創られ、350kgもの荷物が積める軽四輪トラックは、日本の経済成長を下支えしながら長く愛される運送業の頼れる相棒になりました。それはスバルが「トラックの国民車」を提供することに成功したと言えるでしょう。