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SUBARUの歴史

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2008年6月 インプレッサがスーパーGT(GT300クラス)でAWD車初の優勝
〜チャレンジの場をラリーフィールドからサーキットへ

この時期の世相
米の投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻。世界経済が混乱に陥る
2世代目のiPhone3Gが日本で初めて発売
2人のWRCチャンピオンを輩出 2000年代初頭、SUBARUワールドラリーチーム(SWRT)は2人のWRCチャンピオンを生みました。2001年に2代目インプレッサをベースにしたニューマシン“インプレッサWRC 2001”を駆ったリチャード・バーンズは、自身初のドライバーズチャンピオンを獲得。翌2003年、バーンズに代わりエースとなったペター・ソルベルグは、最終戦グレートブリテンで初優勝を飾ると、2003年はシーズン4勝を挙げ自身初のワールドチャンピオンを獲得します。2004年はSUBARUにとって初の母国ラウンド“ラリー・ジャパン”をはじめ、シーズン通算5勝を挙げるも、ドライバーズチャンピオン2連覇は惜しくも逃しました。
惜しまれつつもWRC活動を終える その後SWRTは2005年を最後に勝利から遠ざかってしまいます。この状況を打破すべく2008年に3代目インプレッサをベースとしたニューマシン”インプレッサ WRC 2008“を投入しますが、未勝利のままシーズンを終了。SUBARUは2008年いっぱいでWRCのワークス活動を終了することを決断。1990年サファリラリーから19年にわたるSUBARUワークスとしてのWRC挑戦はここで幕を閉じました。
WRCからニュルブルクリンク24時間耐久レースへ WRC参戦を終えたSUBARUが新たなチャレンジの場として選んだのは、その過酷さから「グリーンヘル(緑の地獄)」の異名を持つサーキット、ドイツ・ニュルブルクリンクを市販車に近いマシンで24時間走り続ける“ニュルブルクリンク24時間耐久レース”です。2008年に3代目インプレッサWRX STIで本格参戦を開始。2011年には初のクラス優勝を飾りました。その後も2012年・2015年・2016年・2018年とクラス優勝を重ねていきます。クルマだけではなくレースに参加する人間も鍛える極限の環境下で培われた技術は、SUBARU車やSTIのコンプリートカー、さらにフレキシブルタワーバーなどのSTIパフォーマンスパーツにフィードバックされています。
スーパーGTへの挑戦 スーパーGT(旧全日本GT選手権)のGT300クラスに、CUSCO RACINGが1997年最終戦からインプレッサで参戦を開始し、STIも車両開発での支援を行ないました。当初は後輪駆動を採用していましたが、2006年からは市販車同様のシンメトリカルAWDを採用。2008年6月、第4戦セパンでGT300クラス史上初のAWD車による優勝を成し遂げます。2009年からはR&D SPORTとSTIのジョイントチームがレガシィB4で参戦。2010年に初優勝すると、翌2011年は2勝を挙げました。2012年にはマシンをSUBARU BRZにスイッチ。スタイリッシュなシルエットと鮮烈な走りで、多くのファンの声援を集めています。